2012年11月04日

ハローウィン

最近は 日本でもハローウィンを祝うそうな。10月も後半になると街中にかぼちゃがあふれる。年末にかけアメリカ人の盛り上がりが徐々にスタートするようだ。

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そしていよいよ 10月31日にクライマックスを迎える。この日 近所のLOS GATOSの街にライトアップされた夜景を見に行く。

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どこの家もLEDで飾り付けられている。ちょっとイメージが違ったのはどこのお屋敷もお化け屋敷に仮装していることだ。

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こちらは 「オズの魔法使い」。屋根には ブリキ男とかかし男がいる。

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こちらは 家に前で「スリラー」を踊る人たち。町内会で練習したのだろうか。結構上手。

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こちらは英国王室のパロディだろうか。エリザベス女王やウィリアム王子までいる。

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街は歩行者天国なり、若者であふれていた。やはりアメリカは活気がある。

アメリカから見た日本A
ここからは、歴史のお勉強のコーナーである。
まず私には以前から気になっている2人の人物がいる。「重光葵」と「チャンドラ・ボーズ」である。
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sigemitu (7).jpg 重光葵は、1945年9月2日、日本降伏文書にマッカーサー達の前でサインさせられた当時の日本の外務大臣である。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリの甲板で、山高帽をかぶった足の不自由な人が調印に臨んでいるのを教科書の写真で見た方も多いだろう。彼の人生を調べてみるとこんなにすごい人が日本にもいたのかとびっくりする。戦前の彼は 優秀な外交官としてヨーロッパや中国の大使を努める。特に、1932年上海事では変当時軍部の独走に反対し中国と上海停戦協定を結ぶことに奔走する。その過程で 爆弾テロにやられ右足切断の重傷を負う。手術の直前激痛のなか、何としても停戦だけはとの思いで必死で停戦協定に調印する。なんともすさまじい。国際連盟では、欧米の差別的民主主義に反対し憤慨する手記を残している。松岡洋介らが進めた 日独伊三国軍事同盟は、「欧州の戦争に巻き込まれることになる」として外務省に対して大反対をしている。太平洋戦争が始まるとアジアの権利を侵害してはならないと軍部に憤慨している。戦中は東条内閣の外務大臣を務め、戦時中の1943年には「大東亜会議」を東京で開催している。この会議ではアジアの自主独立を宣言し、この戦争が侵略戦争ではなくアジアの解放のための戦争であることを世界に発信している。この折 自由インド代表のチャンドラボーズと対面している。終戦後は、先に述べた降伏文書調印式に日本全権として臨む。その時 マッカーサーから日本を軍政下に置くことを通告されるが「日本には政府が存在する」とそれをはねのけている。(一部の書籍によると この時 マッカーサーは 国語を英語に、貨幣を米国軍票に そして裁判権を米軍に帰属させる旨の通達があった。これが事実なら日本の恐ろしい危機を彼は救ったことになる。)その後 東京裁判ではA級戦犯として訴追をうける。当初戦犯リストには彼の名前がなかったのだが、ソビエトの強硬姿勢で禁固7年の実刑判決までくらうことになる。1950年に巣鴨プリズンから釈放され、1952年には吉田茂と総理大臣の椅子を争う。その後 鳩山一郎と日本民主党を立ち上げ1955年には保守合同、自由民主党となる。1954年以降鳩山内閣では 3期連続して外務大臣を務める。この間、アジア・アフリカ会議(バンドン会議)で日本の国連復帰支持を得るもまたしてもソビエトの反対で流れる。

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重光は日ソ交渉において北方領土2島の返還を勝ち取るが鳩山首相は、領土問題を棚上げして「日ソ共同宣言」を優先し日本の国連参加をはかる。1956年国連総会で日本の国連加盟が全会一致で承認され、重光は加盟受託演説を国連総会で行う。有名な「日本は 東西の架け橋になりうる」という名句を残す。このあと自ら日章旗を国連本部ビル前に掲揚する。米国追従路線の吉田茂とは一線を画した筋金入りの政治家である。また、侵略戦争には断固反対して、太平洋戦争の大義をアジアの解放に方向づけするよう努力している。こんなすごい政治家が日本にもいたのである。感動的であるとともにこの時代に世界の趨勢を読めた数少ない政治家であった。 
(大変長文になってしまったのでチャンドラボーズは次回に回します。)


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2012年10月28日

アメリカから見た日本@

私が 学生の頃 元日本軍に従軍した先生がたくさんおられて戦争のリアリティに満ちたお話しをたくさん聞かされました。近くに八日市陸軍飛行場があったため米軍の機銃射撃があり小学校の壁にその痕跡があったこと。高校の時には、学徒出陣されていた先生がおられ、日本軍の内務班のいじめのすごさを毎日聞かされました。日本は、とんでもない戦争をはじめ、そして当然のごとく負けた。それが、私の太平洋戦争観です。中国を侵略した日本。真珠湾で米軍に対しだまし討ちをやった日本。南京大虐殺をやった日本。上海無差別空襲をやった日本。細菌兵器731部隊の悪臭。従軍慰安婦問題。このことは、中国、韓国がいまだに繰り返し日本を糾弾してやまない。
ところが 昨今の日本のマスコミ報道や世論の風潮を聴いていると今までの理解に少し偏りがあるのではないかと思うようになりました。いくつか 理解とはかけ離れた事実があります。
@パールハーバーの仕返しとしての米軍の原爆投下。でも 広島で亡くなった方は、20万人以上、長崎も同様。パールハーバーで亡くなった方は軍人3千人。リメンバーパールハーバーの仕返しとしては桁が違いすぎる。たとえば、私が 広島でこの目で見た8月9日の原爆投下命令文書には、First Targetは KOKURAでありNAGASAKIは Second Targetとの記載があった。長崎は、小倉の当日朝の天候の都合で惨禍を受けた。広島・長崎に原爆投下をする必然性はなかったのでないか。実際 原爆投下候補地は、ころころ変っており、京都、新潟、小倉、広島、長崎が候補地として最期の方まで検討対象であった。(最終的な命令書には、ここから京都が外されている。)米国では、いまだに 「原爆投下は日本を降伏させるのに必要であった」という理解が一般的だが、本当の狙いは何だったのだろう。
A有名なノルマンディー上陸作戦は、100万人の連合国軍が、ヨーロッパに攻めこんでいく。沖縄は、50万人の米軍、どちらもすごい数字ではあるが、沖縄戦は一方的ななぶり殺しに近い。アメリカは、捕虜を本当に丁寧に扱ったのか。日本軍は、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓があり本当に死を選んでいたのか。リンドバーグの米兵の太平洋戦争における残忍さを描いた手記もあるが・・・。
B大東亜会議というのが 1943年11月東京で開催されている。世界の中で人種差別が厳しい折、世界で初めての有色人種によるサミットである。この内容についてはあまり日本人は知らない。その後 アジア各国の独立を勝ち取った首脳がこの時 一同に東京に会しているが・・。
アジアの戦争は、日本の侵略戦争だったのか、白人からの自立を促し大東亜共栄圏を築くことが目的だったのか。アメリカ西海岸に移民していた日本人 10万人以上を強制収容所に送り込んだアメリカ。「自由、平等」のための戦いであるとしていた米国にも明らかに人種差別という矛盾のある政策を行っていた事実がある。当時の「自由、平等」は、白人のみに適応する概念だったのか。
C1945年8月9日、突然日本との中立条約をやぶりソビエト軍が満州に攻め入り、日本の領土占有や戦犯の処罰、捕虜抑留を行う。これって、なんなの。許される行為なのだろうか。火事場泥棒もはなはだしいし、その結果の北方領土占有は法的に有効なのか。宣戦布告もない一方的な条約破棄による進軍はこれこそ侵略ではないのか。私の叔父は、シベリアに抑留され 帰国後すぐに亡くなったと聞いている。
D中国は、日本や諸外国に侵略されっぱなしの、可哀そうな弱小国だったイメージがある。しかし、太平洋戦争後は、国共軍は再び内戦を再開し、なおかつ勝った共産軍は、1950年以降朝鮮戦争に加担する。その後中国は核も保有する。これってなんなのって感じがする。本当に中国軍は弱い国だったのだろうか。朝鮮戦争時、国連軍司令官マッカーサーは、中国(旧満州)への原爆投下まで考える。(この進言により彼はトルーマンにより更迭されるが・・)日本とドイツを壊滅させた連合国は、戦争が終わるや否や、すぐに冷戦と呼ばれる次の対立構図へつきすすむ。アジアでは、日本が死守しようとしていた地域に、共産軍が侵入し、アメリカは太平洋戦争後も、朝鮮戦争、べトナム戦争と大きな戦争を続ける。そして負ける。アジアのパワーバランスは、不安定なまま冷戦崩壊を迎える。
E東京、大阪などへの空襲は、一晩で10万人近くが亡くなっている。明らかにこの空襲は、一般民衆への殺意をもって行われている。多くの人を殺すため焼夷弾を多用している。これは、原爆投下とともに、許される行為なのか。日本も、上海に無差別空襲を行っている、でも上記の空襲は、これとは比較にならない大規模なものである。東京裁判やBC級裁判では、「人道に反する罪」で多くの日本人が処刑されている。こえって法的根拠もない裁判すなわちリンチなのか。
Fモンロー主義のアメリカを軍事大国にしたのは、日本軍によるパールハーバー奇襲だとされる。本当にそうなのか。検証されるべき時代に来ている。

 
 冷戦終結後も戦争をやめないアメリカ。金銭面でそれに加担する日本。イラクにはついに海外派兵まで行ってしまった。ヨーロッパの迷い。第2次大戦の余波はまだまだ世界を覆っているように思う。ヨーロッパ戦線での最高司令官であったアイゼンハワー元米大統領が、離任するときに有名な「米国の産軍複合体の脅威」を国民に訴えている。しかし その後も アメリカの軍需産業は拡大を続け、現在のスパーパワーの地位を得る。今後 これらの不思議を少しずつ解き明かしていきたいと思います。
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2012年08月30日

アメリカの旅〜二つの祖国〜

 山崎豊子さんの「二つの祖国」という小説がある。30年ほど前にNHKの大河ドラマにもなった。アメリカで生まれた日系2世たちの人生を描いた作品で、Los Angelsの日本人街に住む兄弟を中心に話が展開する。弟が柔道の選手として日本に行っている間に、太平洋戦争が勃発する。アメリカの日系移民は、大統領令で山岳地帯につくられた強制収容所に隔離される。その後 兄はアメリカ人としての忠誠を示すために、米軍に従軍する。弟は、実家の鹿児島から、日本兵として従軍する。そして二人は 南の太平洋の島のジャングルで敵同士として再会する。終戦後、兄は東京軍事裁判で通訳を努める。判決後、兄は自分のアイディンティティが分からなくなり自殺する。といった ちょっと信じられないような筋書きの悲劇だった。(でもほとんどが史実らしい)いまでも 戦中戦後の歴史観に対して議論百花の日本には、リアリティを持つ内容だ。日本では、現在もなお、太平洋戦争は「アジアの解放」を旗印に戦った自衛のための戦争だとする右翼系の意見と、東京軍事裁判での判決を基調とした侵略国家日本という東京裁判史観が対峙している。同じように敵国人であったドイツ系移民やイタリア系移民に対してはこのような隔離政策は行われていない。そのことからも、太平洋戦争は、白人社会にとっていかに異質な戦争であったかを物語っているし、隔離政策は、当時白人社会が有色人種をどう見ていたのか、その片鱗を示すひとつの証拠にもなっていると言えよう。

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移民の苦労を展示してある日本人センター

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古いリトル東京の街並み

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こちらは 日本食でにぎわう新しいリトル東京

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勤労を尊しとした二宮尊徳像に脱帽!

難しい話はさておいて、これまた30年ほど前 (旧姓)桜田順子さんが 「来て来て」と連呼していたサンタモニカ海岸である。

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こじゃれた店が立ち並ぶ海岸通

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そして ここはまたルート66の終点でもある。
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