2013年04月06日

永遠の0

 先日 ミリオンセラーになっている百田尚樹さんの「永遠の0(ゼロ)」を読み終えた。本の帯によると売り上げ170万部を突破しているらしい。読みやすい文体で、読者をひきつけるストーリー構成はすばらしく、いっきに読み終えた。戦史に関しての記載は詳細でわかり易く、一般の方が「太平洋戦争」や「特別攻撃」とは何なのだったかを理解するにも優れた本であると思う。ストーリーに関して私が感動を覚えた部分は多々あるが、まだ読んでおられない方のためにもここでは触れないことにしたい。
 ただ 私にとってストーリーとは別に気になる部分が何点かあったのでここで述べたい。本書は、佐伯健太郎と慶子の姉弟二人が、特攻で死んだ祖父の話を、祖父の生前を知る特攻隊の生き残りのかたに順番にインタビューしていく構成であるが、その中で一つの疑問に関して話し合うシーンがある。「どうして当時の日本軍の将官たちは、このような場当たり的な戦略で若い命を粗末にしたのだろう」「日本軍の技量が格段に優れているにもかかわらず、劣勢に追いやられる日本軍、そこには、司令官の臆病な判断が多い。対する米軍の司令官の判断は勇気に満ちたものが多い」「この調査を通して感じられるのは、上級参謀や長官 司令官など50歳以上のひとの非常に官僚的な思考である・・・」「彼らは 日露戦争以降、40年間 戦争を実体験していないし、じつは彼らは自分たちの軍隊での昇進昇格に最大の関心があったのではないか」というものである。昇進昇格するには とにかく失敗をせず、上司に気に入られることである。失敗を極度におそれ、それゆえ失敗から学ぶことをしなくなる。責任回避がいつでもできるように自らの責任を最小化するように行動する。仲間とは失敗をかばい合う。現場は、いつも混沌としており、大変な状態であるがあえてその現場を知ろうとしないで常に組織内部の上司ばかりをみている。というような考察が記載されている。史料によると1945年当時の日本軍の規模は720万人(陸軍550万人 海軍170万人)これだけの数の人間が完全なピラミッド型組織にて階級支配されていた。恐ろしくおおきな官僚組織である。結果責任かもしれないが、大敗北をきしたミッドウェイの南雲長官、ガダルカナルの辻正信、インパールの牟田口中将、真珠湾攻撃をだまし討ちにしてしまった当時の米国大使館の官僚たち、いずれも責任を追及されていない。この傾向は、現代の社会や企業の中でもよくみられるものであり、特に自分がそういう年齢であるのでこの状態は痛いほどよくわかる。日本には、未だに失敗から学べない悪習も残存している。もっと素直に、崇高な目的のために仕事をし、それを達成することで人生の満足感を得たいものだ。いつのころからか、人を肩書きで測り、自分の肩書きに満足するような情けない人生に陥ってしまっている自分に本書は気づかせてくれた。肩書きは、目的遂行のための手段でしかないのに。手段を人生の目的にしてはいけないのである。日本では、1945年8月15日をもってこの強大なヒエラルキー支配が一瞬にして消滅してしまうのである。では 太平洋戦争の本来の目的は何処にいってしまったのだろう。それを、戦後68年たった現在 未だに議論しているのが日本の実態である。
 もうひとつは、本書の後半に出てくる戦後の大阪駅前の傷痍軍人たちの描写である。国家のために戦い傷を負った人たちの前を、まるで汚いものでも見るように通り過ぎる人たちがいる。私自身は 終戦13年後に生まれた「戦争を知らない子供たち」であり、ものごころついたときにはすでに日本は高度成長期に入っていた。しかし 今でもたまに思い出すシーンがある。それは、近くの大きな神社のお祭りの日の参道にいた傷痍軍人の姿である。白い服をきて包帯をまいた足や手のない人、目の見えないひとが痛々しそうにお金を乞うていた。彼らの横には悲しいメロディーを奏でるアコーディオンの響きがあった。小学生の私はその前を通るのがものすごくいやで、目をつむって通り過ぎた。あとから何か悪いことでもしたようにはげしい動悸がしていたのを強く覚えている。大人たちの中には彼らにいくばくかのお金を渡す人もいた。私はいったいどうしたらいいのか、どう考えたらいいのかよくわからなかった。そばにいた親に聞くのもなにやらはばかられた。たしかに当時はまだ戦後は終わっていなかった。その光景は、私の中では、まったく理解を超えた世界だった。そして、自分が大人になったとき傷痍軍人の姿はもう何処にもなかった。でも いまでも過去の戦争にまつわる話に接するとき、私の心の中ではまだあの物悲しいアコーディオンの音が響く。今度はその音から逃げないで、その悲しい音色が消えるまで私は歴史をひも解きたいと思う。悲しみが「永遠に0」にならなくても。

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2013年03月05日

アメリカから見た日本F 〜南太平洋〜

私の好きなミュージカル映画のひとつに「南太平洋(South Pacific 1958年)」がある。この映画の持つ なんともエキゾチックな雰囲気が好きである。以前よりアメリカ人の感じる南太平洋の雰囲気と日本人のそれは 非常によく似ていると感じていた。この映画は、1949年作のブロードウェイミュージカルとして人気を博していた舞台作品を映画化したものだ。私の生まれた年に製作された映画でもあり、英語学習の成果としてなんとか吹き替えなしでこの映画を鑑賞してやろうと現在躍起になっている。

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時は太平洋戦争の最中、とある南太平洋の島での物語である。

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映画のモチーフになっている「バリハイ」という島。タヒチ島がモデルとなっている。「バイハイ」という挿入歌も魅力的。

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この映画、2つの恋が物語の軸となっている。一組は、米軍の従軍看護ネリーとフランス人エミールとの年齢が離れた恋。

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エミールはフランスで人を殺めてしまい、15年前にこの島に逃げ込んできた中年男。この島で、多くのプランテーションを営み経済的には成功している。ポリネシア人の女性と結婚し2人のハーフの子供がいる。女性は数年まえに亡くなった。ネリーは、米軍キャンプのマドンナ的存在で若い快活なアーカンソー リトルロック生まれのアメリカ人。エミールの歌う「魅惑の宵」に酔わされ二人は恋に落ちる。

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 もう一組は、こちら若いアメリカ軍中尉ケーブルとフランス語しか話せないトンキン人(べトナム人)の娘リアットの若い恋。二人は「バリハイ」の島で出会った瞬間から一目ぼれ、恋に落ちる。写真は、中央 ブラッディーマリーと若い恋人たち。なんとリアットはブラッディーマリーの娘である。ここは、フランス領ポリネシアであるから、仏領インドシナのベトナム人が、フランス人に労働力としてこの島に連れてこられたという背景がある。(最初は何でリアットがチャイナドレスを着ているのか不思議であった。アメリカ人のおおぼけかと思ったがちゃんと背景があったのだ)

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リアットがおどる「Happy Talk」。日本でもキリンビールのコマーシャルソングでご存知の方も多いかもしれない。フランス ニューエンって女優さんです。

 この二つの恋、どちらも同じ悩みを抱えている。米軍看護婦ネリーは、相手の男性エミールの前妻が有色人種であったことに悩む。米軍中尉ケーブルは、相手がベトナム人であることに悩み結婚はできないと告げる。この時代はまだ白人は有色人種を生理的、感情的に人種差別していたようだ。ケーブルが歌う挿入歌に 「あなたは注意深く教えられた。肌の色や目の色が違う人種をきらい、恐れなさいと。。。」とうのがある。
 
 ところで なんでこの映画の紹介をするのか、日本とどう関係があるのかというと、実は大きく影響がある。ここは太平洋戦争の真っ只中、日本と戦争をしている最中である。しかし 映画に日本人はほとんど出てこない。でも セリフの中には確かに「ジャパニーズ」「ジャップ」「東京ローズ」「ゼロ戦」って言葉が出てくる。(私は長い間、日本語吹き替えでこの映画を楽しんできており、ちっともそのことに気づかなかった。)若いケーブル中尉は、エミールとともに危険な米軍の任務に身を投じ、ゼロ戦に撃ち殺されてしまう。という悲劇があり、エミールは何とか生還すると ネリーがうちで子供たちの世話をしてくれていた、という半分ハッピーエンドな物語である。
 バリハイというエキゾチックな島の景観とアジア人たち、さぞかし西欧人にはエキゾチックに思われたであろう。方や 日本軍はこの地域であの「ガ島作戦」など大変悲惨な戦いをおこなったのである。ガダルカナルでは、米軍との戦闘で5000人 食料不足での餓死者15000人の合計2万人を超える日本軍の兵隊がこの地で亡くなった。美しい海岸線に日本兵の死骸が山のように折り重なっている写真を見た方も多いだろう。あまりのイメージの違いにおののくばかりである。

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太平洋での戦記に関しては後日しっかり考証していきたい。

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2013年02月03日

アメリカから見た日本E〜真珠湾攻撃〜

 開戦当時の日本海軍連合艦隊は世界最強であった。一般に私たちは 太平洋戦争における各戦史に関して詳しく学ぶチャンスはすくない。太平洋戦争の結末すなわち日米の工業力の差と決めつけ、簡単に話を終わらせてしまうのはあまりに勿体ない話である。太平洋戦争の初期においては、日米の軍事力は太平洋においては日本が勝っており、その中で、戦略的な思考の差により敗退をしてしまった事実から目をそらさずその本質を学習することはその後の日本に対する「戦略」を研究する最大の機会である。前出の「失敗の本質」においては、ここにメスがくわえられていることに着目したい。 一般に真珠湾攻撃は成功、ミッドウェイ海戦は敗退の始まりとされているが本当にそうだろうか。史実を追って検証してみたい。これら2つの作戦は、あの山本五十六によって計画されてている。山本は 米国バーバード大学に留学し、ワシントンの日本大使館武官として赴任経験もあるアメリカ通である。彼の思いは、初戦で米国軍備を徹底的に破壊しその戦意を失わせ、有利な講和条件を引き出すことにあった。

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 真珠湾攻撃を振り返ってみる。ヨーロッパではヒットラーが快進撃を続けており、イギリスも危うくなりかけており、チャーチルは再三米国に参戦協力を呼び掛けている。しかし 当時のアメリカモンロー主義は強固であり、ヨーロッパの戦争にアメリカの若者の血を流す必要がないと考えられていた。米国への直接攻撃がない限り米国は参戦しないとルーズベルトは大統領選挙で公約している。そんななか、日本との交渉が難航しているアメリカはハルノートを突き付け中国やインドシナからの撤兵を要求した。アメリカもある程度、日本からの軍事攻撃は覚悟していたようである。実際 日本の攻撃を暗号にて傍受していた米軍は、フィリピンやグアム島の基地に対して臨戦態勢をとらせている。しかし 日本のターゲットは米国の想定をはるかに超えた真珠湾であった。それも 大型空母6隻 戦艦2隻 重巡洋艦2隻 駆逐艦9隻 潜水艦3隻 燃料補給タンカー7隻の空母機動部隊の大艦隊をもちいた奇襲作戦である。この艦隊は、択捉島に極秘裏に結集し、11月21日ハワイに向け南下を開始する。この時点でまだ日米交渉は継続中であったが、12月2日になりあの有名な「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文がはいる。日本は完全奇襲を考えており、あえて波の荒い北航路をとり他の商船との接触を避けた。

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当時の真珠湾は米国の太平洋戦略上の最重要基地であり、サンディエゴから真珠湾へ、その太平洋戦力の実に90%が結集していたと言われている。

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 12月8日未明 183機の艦載機が一斉に真珠湾向けに攻撃を開始する。当時湾内には戦艦8隻が停泊中だった。飛行場の爆破にはじまり 戦艦を次々と撃破した。第2次攻撃は30分後167機の編隊であり、真珠湾の艦船はほとんど破壊された。艦船17隻、航空機231機を破壊し2402名が亡くなった。日本軍の被害は航空機29機 54名が戦死した。数字の上では、日本軍の圧勝である。しかし 出来たての大型石油貯蔵タンクはそのまま温存され、軍港の工廠(ドッグ)などもほぼ無傷で残った。これらは、その後の戦局におおきく影響する。そして何より、敵空母が発見できなかったことも大きい。この時点で 南雲中将は、「目的は果たせた」として第2次攻撃を中止し帰還を命じている。これだけの大規模な奇襲攻撃であったが、現地の情報はしっかり取れていなかったようだ。石油基地やドックは残され空母も温存された。沈没した船は直ちにサルベージで引き上げられ多くがこのドッグで修復され実践に復帰している。米国の船舶の修復能力の高さも見誤ったようだ。

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ワシントンでは、日本からの「交渉打ち切り」の最後通牒が、真珠湾攻撃より50分遅れた。これを 逆手にとり「リメンバーパールハーバー」「屈辱の日を忘れるな」とルーズベルトが国会演説をおこなう。米国議会は日本への宣戦布告を反対1票の圧倒的多数で承認する。山本五十六が画策した「初戦の大被害で戦意を消失させる」計画は大失敗に終わり、米国を本気で怒らせてしまった。局地戦では大勝利でも戦略的には大失敗だったのである。そしてこの戦争は、日本が勝つなら首都ワシントンを落とす、米国が勝つなら東京を破壊するまで終われない戦争になってしまった。この時点でそのことに気づいている日本人はまだいない。

12月10日には マレー沖海戦が起こった。英国が誇る最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レバルスを日本海軍航空隊が撃沈した。この衝撃は大きかった。日本だけでなく世界が巨艦巨砲時代の終焉を感じさせた。また 日本の航空戦力の強力さも世界に示された。英国軍はこうしてインドシナでの勢力を急速に低下させてしまった。

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 この2隻の戦艦が沈没する前、艦長から日本軍に「退艦する兵士のため30分間攻撃を止めてくれ」という要請が打電される。日本軍はこの要請を受け入れ英兵員の退艦の時間を与える。このはからいによって 英国側の乗員の死亡率は20%にとどまる。まさに武士道的な行いである。(ちなみに おなじように米軍航空機により沈没させられた戦艦大和は90%以上の乗員が死亡している。)

 真珠湾攻撃を境にして米国の対外戦略は180度変化し、大西洋ではドイツ軍と戦うようになる。チャーチルは、この日「これでこの戦争に勝った」と確信したと回顧している。日本の参戦により 大西洋でも同盟国ドイツ・イタリアが米国に宣戦布告し、米国の本格的な第2次大戦への参戦が始まる。ときを同じくしてドイツ軍はモスクワ郊外でソ連軍の猛攻にあい後退を余儀なくされている。1944年のノルマンディー上陸作戦を成功させたアメリカは、ヨーロッパ戦線でも優勢に進み、ソ連軍との挟み撃ちでドイツ軍を崩壊させる。

この日以来、現在今日に至るまで、米国の空母機動部隊を中心とした世界戦略がつづく。1941年12月8日は、そんな大変な一日であったのである。
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