2013年04月12日

アメリカから見た日本G〜Midway海戦〜

 今回は 太平洋戦争における「関ヶ原」とも呼ばれるMidway海戦に関して考察したい。太平洋戦争に関しては、米国の圧倒的な工業力に立ち向かった日本軍という構図がある。私はこの海戦もある意味負けて当然だと今まで軽く考えてきた節がある。しかし 調べてみるとどうもそうではないようである。この時点での太平洋における軍事力は 日米で互角もしくは一部技能では日本のほうが上位にあったといわれる。この海戦に投入した日本側戦力は 空母6隻、戦艦大和他 戦艦11隻を含む艦艇350隻、航空機1000機、兵員10万人の大艦隊である。ただし 同時にアリューシャン列島方面に2隻の空母を中心としたの機動部隊を向かわせている。日本軍の暗号を傍受できていたアメリカ側はこのおとりには引っ掛からずミッドウェイに戦力を集中した。対するアメリカ側は 航空母艦3(エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウン) 重巡洋艦7 軽巡洋艦1 駆逐艦15 航空機121機 ミッドウェー島守備隊(海兵隊)2400人、海軍基地隊1400名という陣容である。すでに中国戦線で実戦経験のある戦闘機ゼロ戦の戦闘能力の高さや日本側の航空パイロットの熟練度の高さはずば抜けていた。当時この時点まで連戦連勝であった南雲機動部隊は名実ともに世界最強であった。ここにある種のおごりがあったのかもしれない。
 ミッドウェイ海戦は 1942年6月5日に戦闘がおこなわれているが、その前の5月に珊瑚海海戦という史上初の空母対空母の戦いがあった。この海戦で日本軍は空母レキシントンを撃沈し、空母ヨークタウンを戦闘不能にしている。しかし 米国太平洋司令長官ニミッツは 当初3ヶ月はかかるだろうヨークタウンの修復工事をパールハーバーで3日で終えろと厳命する。まったく日本軍もビックリの精神論である。士気が高いアメリカ軍は突貫工事でこれを成し遂げる。事実 ヨークラウンのミッドウェイへの出港時にはまだ工事作業員がたくさんのっており修理の最中であったという。まさに米軍のダメージケアの力は恐るべしである。また 4月には、真珠湾奇襲の復讐にもえるヤンキー魂は、東京空襲を企てる。ドゥーリトル空襲である。東京の東800kmの空母ホーネットから80人 16機のB25爆撃機が飛び立つ、片道燃料で東京、名古屋、大阪 神戸を空襲し、中国に不時着している。日本側の被害は微小であったがこの時期本土を空襲された軍部のショックは相当なものがあり、結果ミッドウェイ作戦を後押しすることになる。

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  写真は ホーネットミュージアム(オークランド)の船内に設けられているドゥーリトル隊の展示コーナー。東京初空襲に向かうB25発艦の様子。

 ミッドウェイ海戦の戦史に関しては、他に譲るとしてなぜ負けたのか考察してみたい。一般的には次の項目が敗因とされている。
1)日本軍の戦略の不確実さ。ミッドウェイ島の攻略か、米国太平洋艦隊の殲滅か。2つの目的を持っていた。このあいまいさが、有名な、空母上での兵装転換を招き、そのことによる攻撃の遅れを導いてしまう。すこしマクロにみると、山本五十六の考えていた短期決戦による圧勝と早期講和の実現、そのためのハワイ攻撃の早期実現。という方向性と軍令部が抱いていた、米国との長期戦に備えた太平洋での制空権の確保、そのための米国と豪州の兵站の分断、オーストラリア ポートモレスビー攻略、インド洋での英国海軍との海戦という方向性の違いがあった。このため、南雲機動部隊は両方に戦力を使われ疲労困憊していたという。
2)米軍による暗号の解読と日本軍の情報統制の甘さ。真珠湾攻撃以降 南太平洋、インド洋での連勝により日本の軍隊では戦局に楽観的な見方が優勢になり、機密情報統制も甘かったという。事実 ミッドウェイ攻撃は日本国内で公然の秘密になっていたようである。また 米軍の暗号解読も昨今よく話題になっている。米国は日本の攻撃目標「AF」という暗号地名が最後までわからず、第2次真珠湾攻撃の可能性も主張されていた。そこで、米軍は「ミッドウェイでは 真水が不足している」という虚偽の平文電報をミッドウェイからハワイに打つ。すかさず「AFでは真水が足らないらしい」という日本軍の暗号が傍受される。ここに、日本軍のターゲットはミッドウェイだと悟られてしまい、結果米空母艦隊の待ち伏せにあってしまう。
3)レーダー開発による策敵能力の差。米軍は真珠湾攻撃の学習からレーダーの強化に入っている。逆に日本軍は、技術的には高度なドイツのレーダー技術を持ちながら実践には活かせなかった。この海戦でも後方の大和にだけレーダー(電探)を積んでいた。無線通信技術も米国の方が上であったようである。また 両軍の策敵機による両艦隊の発見の情報は同時刻であるとされる。しかし 日本の策敵機はコンパスの狂いから敵の位置を正確に捕捉できなかった。また、空母の確認が遅れたという事実もある。こうしてみると、日本軍は、情報の重要さや策敵の重要性にそれほど多くの価値をおかなかったようである。事実、米国空母艦隊が漏らした電波を「大和」は受信したが「彼らも当然傍受したはず」として、旗艦「赤城」の南雲にはこれを知らせていない。日本軍は無線封止を優先させたのである。後の考察ではこれが 日本軍が勝てる最後のチャンスだったのである。
4)米軍急降下爆撃の効果。当時は 大型艦艇を沈めるには、魚雷が数本突き刺さることが必要とされていた。そのため 米軍も最初は雷撃機を投入してくるが、これは迎撃に向かったゼロ戦の敵ではなく、全滅してしまった。そのあとやってきたのが、米軍の攻撃機による急降下爆撃である。兵装転換で発艦が遅れた日本空母に向かって通常爆弾での攻撃により、誘爆を招き、またたく間に3隻の大型空母が沈んでしまう。「運命の5分間」である。空母飛龍の山口多聞中将は、「兵装転換せずにすぐさま敵空母に地上用爆弾で攻撃を開始するよう」に具申したが南雲に無視されてしまっていた。このあと彼は唯一無事だった飛龍を率いて善戦するが、飛龍も沈められ、山口多聞中将は船とともに海中に沈む。

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米軍の急降下爆撃とその誘爆により炎上する「赤城」

 一般に 精神力の日本軍、物量の米軍という印象をもっているが、この戦いに限って言えば米軍人の勇気や司令官の正確な判断、勇気ある判断が結果的に少ない物量で日本軍の作戦阻止に成功していることがわかった。よく問題になる兵装転換中での急降下攻撃も日本軍は2か月前にすでにインド洋海戦にて一度経験している。日本側は兵装転換の最中であったにもかかわらず運よく攻撃されなかったことで助かったことも学習出来ていない。空母は兵装転換の最中が全くの部防備であり非常に危険な状態である。とくに敵に索敵された後は何があっても兵装転換は自殺行為だ。逆に米軍は、真珠湾で役に立たなかったレーダーを短期間に実用化し、少ない兵力で作戦を阻止するためにすべてのパワーをこの作戦に集中し見事に逆転させている。戦略というものの重要性を見せつけられる。日本軍の損害は 空母4隻 航空機253機(艦載機)のすべてを失い、そして熟練搭乗員100名を含む3500名の戦死者をだす。軍令部は、この作戦に参加した将兵を一時隔離し、敗北を国民に秘匿しようとしている。まったくこの失敗から学習する姿勢が見られないのも特徴的である。このあと、ガダルカナルにおいて 本格的な米軍の反撃が始まるがここでも米軍は全力を結集して作戦を遂行している。そこでも日本軍は、敵の戦略を見誤り大敗北を帰するのである。

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 情報の取り扱いは現代社会の日本でも抱えている大問題である。悪い情報は組織内で伝わらない、組織外へは隠ぺいされる。現場の状況情報を軽視し組織中心の判断が常に上位に来る。ミッドウェイ大敗北の教訓は今だに生かされていないようだ。また、この海戦だけをとらえての南雲中将に対する批判もあるが、彼はすでに年齢55歳であり、航空戦の専門家でもない。なぜ彼をこのような大海戦の現場の最高司令官につけなければならなかったのか。当時の人事の硬直化も今に通じるものがあろう。米国では、勝ったにもかかわらず、ミッドウェイ海戦の振り返り検証が何度もされており、現在でも多くの書物が出ている。米軍の反省結論は「少ない戦力で作戦を阻止できたのは偶然の産物であり、一つ間違えれば逆の状態になっていた」という謙虚なものが多い。ちなみに米軍はアリューシャン列島で捕獲した無傷のゼロ戦を手に入れ、サンディエゴ基地に持ち帰り徹底的に調査し、これに勝る戦闘機の開発に全力を挙げている。逆にゼロ戦はマイナーチェンジはされたものの終戦まで基本構造は全く変えられていない。結果としての勝ち負けとは別に、現実を直視し良かった点と悪かった点を客観的に分析することは価値があることであろう。
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2013年04月06日

永遠の0

 先日 ミリオンセラーになっている百田尚樹さんの「永遠の0(ゼロ)」を読み終えた。本の帯によると売り上げ170万部を突破しているらしい。読みやすい文体で、読者をひきつけるストーリー構成はすばらしく、いっきに読み終えた。戦史に関しての記載は詳細でわかり易く、一般の方が「太平洋戦争」や「特別攻撃」とは何なのだったかを理解するにも優れた本であると思う。ストーリーに関して私が感動を覚えた部分は多々あるが、まだ読んでおられない方のためにもここでは触れないことにしたい。
 ただ 私にとってストーリーとは別に気になる部分が何点かあったのでここで述べたい。本書は、佐伯健太郎と慶子の姉弟二人が、特攻で死んだ祖父の話を、祖父の生前を知る特攻隊の生き残りのかたに順番にインタビューしていく構成であるが、その中で一つの疑問に関して話し合うシーンがある。「どうして当時の日本軍の将官たちは、このような場当たり的な戦略で若い命を粗末にしたのだろう」「日本軍の技量が格段に優れているにもかかわらず、劣勢に追いやられる日本軍、そこには、司令官の臆病な判断が多い。対する米軍の司令官の判断は勇気に満ちたものが多い」「この調査を通して感じられるのは、上級参謀や長官 司令官など50歳以上のひとの非常に官僚的な思考である・・・」「彼らは 日露戦争以降、40年間 戦争を実体験していないし、じつは彼らは自分たちの軍隊での昇進昇格に最大の関心があったのではないか」というものである。昇進昇格するには とにかく失敗をせず、上司に気に入られることである。失敗を極度におそれ、それゆえ失敗から学ぶことをしなくなる。責任回避がいつでもできるように自らの責任を最小化するように行動する。仲間とは失敗をかばい合う。現場は、いつも混沌としており、大変な状態であるがあえてその現場を知ろうとしないで常に組織内部の上司ばかりをみている。というような考察が記載されている。史料によると1945年当時の日本軍の規模は720万人(陸軍550万人 海軍170万人)これだけの数の人間が完全なピラミッド型組織にて階級支配されていた。恐ろしくおおきな官僚組織である。結果責任かもしれないが、大敗北をきしたミッドウェイの南雲長官、ガダルカナルの辻正信、インパールの牟田口中将、真珠湾攻撃をだまし討ちにしてしまった当時の米国大使館の官僚たち、いずれも責任を追及されていない。この傾向は、現代の社会や企業の中でもよくみられるものであり、特に自分がそういう年齢であるのでこの状態は痛いほどよくわかる。日本には、未だに失敗から学べない悪習も残存している。もっと素直に、崇高な目的のために仕事をし、それを達成することで人生の満足感を得たいものだ。いつのころからか、人を肩書きで測り、自分の肩書きに満足するような情けない人生に陥ってしまっている自分に本書は気づかせてくれた。肩書きは、目的遂行のための手段でしかないのに。手段を人生の目的にしてはいけないのである。日本では、1945年8月15日をもってこの強大なヒエラルキー支配が一瞬にして消滅してしまうのである。では 太平洋戦争の本来の目的は何処にいってしまったのだろう。それを、戦後68年たった現在 未だに議論しているのが日本の実態である。
 もうひとつは、本書の後半に出てくる戦後の大阪駅前の傷痍軍人たちの描写である。国家のために戦い傷を負った人たちの前を、まるで汚いものでも見るように通り過ぎる人たちがいる。私自身は 終戦13年後に生まれた「戦争を知らない子供たち」であり、ものごころついたときにはすでに日本は高度成長期に入っていた。しかし 今でもたまに思い出すシーンがある。それは、近くの大きな神社のお祭りの日の参道にいた傷痍軍人の姿である。白い服をきて包帯をまいた足や手のない人、目の見えないひとが痛々しそうにお金を乞うていた。彼らの横には悲しいメロディーを奏でるアコーディオンの響きがあった。小学生の私はその前を通るのがものすごくいやで、目をつむって通り過ぎた。あとから何か悪いことでもしたようにはげしい動悸がしていたのを強く覚えている。大人たちの中には彼らにいくばくかのお金を渡す人もいた。私はいったいどうしたらいいのか、どう考えたらいいのかよくわからなかった。そばにいた親に聞くのもなにやらはばかられた。たしかに当時はまだ戦後は終わっていなかった。その光景は、私の中では、まったく理解を超えた世界だった。そして、自分が大人になったとき傷痍軍人の姿はもう何処にもなかった。でも いまでも過去の戦争にまつわる話に接するとき、私の心の中ではまだあの物悲しいアコーディオンの音が響く。今度はその音から逃げないで、その悲しい音色が消えるまで私は歴史をひも解きたいと思う。悲しみが「永遠に0」にならなくても。

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2013年04月01日

WBC観戦 無念の侍

サンフランシスコの天候は、変わりやすく、霧が多く、夜は冷え込む。ただしこの夜は、燃えた。相手はプエルトリコとあって応援もラテン系ののりだ。方や 日本の応援も負けてはおらずまるで甲子園球場を再現したような盛り上がりだ。日本からもたくさんの応援団が駆けつけていたようだ。

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海岸線に建つサンフランシスコAT&T球場。海風が冷たい。でも今日はカリフォルニアらしくいい天気だ。

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ここは、サンフランシスコジャイアンツのホームグランドでもある。


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日本から来たと思われる応援団の「侍」たち。

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みんな手に手にトランペットを持っている。「がんばろう日本」

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始球式では歴代の優勝監督 王さんと原さんの姿があった。夏時間のサンフランシスコは日が高い。

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試合は息詰るような投手戦。身体能力ではプエルトリコのほうが上に見えるが、そこは技の日本負けていません。
寒さがじわじわと深まってくる。


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日本のチャンスにスタンドは総立ちになって応援してくれた。日本を応援してくれているアメリカ人も多かった。ここは アウェイではなかったか?

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最後力つき挨拶をする侍JAPANのメンバー。ご苦労様でした。結果 3-1で敗退。


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