2013年02月03日

アメリカから見た日本E〜真珠湾攻撃〜

 開戦当時の日本海軍連合艦隊は世界最強であった。一般に私たちは 太平洋戦争における各戦史に関して詳しく学ぶチャンスはすくない。太平洋戦争の結末すなわち日米の工業力の差と決めつけ、簡単に話を終わらせてしまうのはあまりに勿体ない話である。太平洋戦争の初期においては、日米の軍事力は太平洋においては日本が勝っており、その中で、戦略的な思考の差により敗退をしてしまった事実から目をそらさずその本質を学習することはその後の日本に対する「戦略」を研究する最大の機会である。前出の「失敗の本質」においては、ここにメスがくわえられていることに着目したい。 一般に真珠湾攻撃は成功、ミッドウェイ海戦は敗退の始まりとされているが本当にそうだろうか。史実を追って検証してみたい。これら2つの作戦は、あの山本五十六によって計画されてている。山本は 米国バーバード大学に留学し、ワシントンの日本大使館武官として赴任経験もあるアメリカ通である。彼の思いは、初戦で米国軍備を徹底的に破壊しその戦意を失わせ、有利な講和条件を引き出すことにあった。

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 真珠湾攻撃を振り返ってみる。ヨーロッパではヒットラーが快進撃を続けており、イギリスも危うくなりかけており、チャーチルは再三米国に参戦協力を呼び掛けている。しかし 当時のアメリカモンロー主義は強固であり、ヨーロッパの戦争にアメリカの若者の血を流す必要がないと考えられていた。米国への直接攻撃がない限り米国は参戦しないとルーズベルトは大統領選挙で公約している。そんななか、日本との交渉が難航しているアメリカはハルノートを突き付け中国やインドシナからの撤兵を要求した。アメリカもある程度、日本からの軍事攻撃は覚悟していたようである。実際 日本の攻撃を暗号にて傍受していた米軍は、フィリピンやグアム島の基地に対して臨戦態勢をとらせている。しかし 日本のターゲットは米国の想定をはるかに超えた真珠湾であった。それも 大型空母6隻 戦艦2隻 重巡洋艦2隻 駆逐艦9隻 潜水艦3隻 燃料補給タンカー7隻の空母機動部隊の大艦隊をもちいた奇襲作戦である。この艦隊は、択捉島に極秘裏に結集し、11月21日ハワイに向け南下を開始する。この時点でまだ日米交渉は継続中であったが、12月2日になりあの有名な「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電文がはいる。日本は完全奇襲を考えており、あえて波の荒い北航路をとり他の商船との接触を避けた。

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当時の真珠湾は米国の太平洋戦略上の最重要基地であり、サンディエゴから真珠湾へ、その太平洋戦力の実に90%が結集していたと言われている。

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 12月8日未明 183機の艦載機が一斉に真珠湾向けに攻撃を開始する。当時湾内には戦艦8隻が停泊中だった。飛行場の爆破にはじまり 戦艦を次々と撃破した。第2次攻撃は30分後167機の編隊であり、真珠湾の艦船はほとんど破壊された。艦船17隻、航空機231機を破壊し2402名が亡くなった。日本軍の被害は航空機29機 54名が戦死した。数字の上では、日本軍の圧勝である。しかし 出来たての大型石油貯蔵タンクはそのまま温存され、軍港の工廠(ドッグ)などもほぼ無傷で残った。これらは、その後の戦局におおきく影響する。そして何より、敵空母が発見できなかったことも大きい。この時点で 南雲中将は、「目的は果たせた」として第2次攻撃を中止し帰還を命じている。これだけの大規模な奇襲攻撃であったが、現地の情報はしっかり取れていなかったようだ。石油基地やドックは残され空母も温存された。沈没した船は直ちにサルベージで引き上げられ多くがこのドッグで修復され実践に復帰している。米国の船舶の修復能力の高さも見誤ったようだ。

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ワシントンでは、日本からの「交渉打ち切り」の最後通牒が、真珠湾攻撃より50分遅れた。これを 逆手にとり「リメンバーパールハーバー」「屈辱の日を忘れるな」とルーズベルトが国会演説をおこなう。米国議会は日本への宣戦布告を反対1票の圧倒的多数で承認する。山本五十六が画策した「初戦の大被害で戦意を消失させる」計画は大失敗に終わり、米国を本気で怒らせてしまった。局地戦では大勝利でも戦略的には大失敗だったのである。そしてこの戦争は、日本が勝つなら首都ワシントンを落とす、米国が勝つなら東京を破壊するまで終われない戦争になってしまった。この時点でそのことに気づいている日本人はまだいない。

12月10日には マレー沖海戦が起こった。英国が誇る最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レバルスを日本海軍航空隊が撃沈した。この衝撃は大きかった。日本だけでなく世界が巨艦巨砲時代の終焉を感じさせた。また 日本の航空戦力の強力さも世界に示された。英国軍はこうしてインドシナでの勢力を急速に低下させてしまった。

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 この2隻の戦艦が沈没する前、艦長から日本軍に「退艦する兵士のため30分間攻撃を止めてくれ」という要請が打電される。日本軍はこの要請を受け入れ英兵員の退艦の時間を与える。このはからいによって 英国側の乗員の死亡率は20%にとどまる。まさに武士道的な行いである。(ちなみに おなじように米軍航空機により沈没させられた戦艦大和は90%以上の乗員が死亡している。)

 真珠湾攻撃を境にして米国の対外戦略は180度変化し、大西洋ではドイツ軍と戦うようになる。チャーチルは、この日「これでこの戦争に勝った」と確信したと回顧している。日本の参戦により 大西洋でも同盟国ドイツ・イタリアが米国に宣戦布告し、米国の本格的な第2次大戦への参戦が始まる。ときを同じくしてドイツ軍はモスクワ郊外でソ連軍の猛攻にあい後退を余儀なくされている。1944年のノルマンディー上陸作戦を成功させたアメリカは、ヨーロッパ戦線でも優勢に進み、ソ連軍との挟み撃ちでドイツ軍を崩壊させる。

この日以来、現在今日に至るまで、米国の空母機動部隊を中心とした世界戦略がつづく。1941年12月8日は、そんな大変な一日であったのである。
posted by Kogame3 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史認識